高木登劇評-あーでんの森散歩道
 
   鴨下信一の『8人で探すリア王』&出口典雄の『リア王』   No. 1999-008
空白

 鴨下信一演出の『8人で探すリア王』とシェイクスピア・シアター公演、出口典雄演出の『リア王』を続けて観た。
 『8人で探すリア王』は、場所が5月のイギリスの野外劇場の庭園という設定で、色とりどりの花が舞台を明るく華やかなものにしていて、演出の意図にふさわしい雰囲気を醸し出している。
 一方のシェイクスピア・シアターの『リア王』は舞台上に王座を示す椅子があるだけで、あとは宮廷や荒野を象徴するかのように天井に鈍い金色の骨組みがドームのような半球の形で吊り下がっているのみである。
 2つに共通して感じたのは、主演のリアを演じる白石加代子と吉田鋼太郎の台詞力のすばらしさであった。

 『8人』は『リア王』の朗読会という設定で、日本の某大学のゼミナールの教授(白石加代子)と助手(池畑慎之介)、それに男女の大学生がイギリスのグローブ座が新築されたというのでみんなでそれを見学に行くということになる。
 一行は8人からなり、それで『8人で探すリア王』ということになるのだが、朗読会のメンバーがそれでは不足するというので、一人複数役となる。
 教授の白石加代子はリア王とコーデリアの役で、コーデリアは「リアの心」という意味を含むことから、実体としての存在よりも幻想としての存在として役を兼ねている。
 白石加代子の見もの(というより聞かせどころ)は、リアとコーデリアの声の早変わり。
 同じく早変わりで面白いのは、助手役の池畑慎之介の道化とグロスター伯で、これは声のみならず衣装まで早変わりする。
 舞台は、大学のゼミの一行が野外劇場の庭園に到着するところから始まる。
 一行が観客席の通路を教授の案内で引率されてやって来る。
 舞台に到着したところで幕が開き、5月の美しい花が一面に咲き競う庭園が現れる。
 そこで『リア王』の朗読会が提案され、教授が演じるリア王の王国譲渡の台詞がいきなり始まる。
 はじめは台詞の朗読、読み合わせの形態で進んでいくが、次第に舞台の立ち稽古のようになり、遂には所作を伴った舞台上演そのもののように乗ってくる。
 白石加代子の台詞は目を瞑って聞いていたくなる。その方が想像力を強く働かしてくれそうである。
 池畑慎之介も女性としての助手役、道化、グロスター伯の声の使い分けもごく自然な感じである。
 この二人の二役、リアとコーデリア、道化とグロスターはそれぞれに最も遠い関係にあり、むしろ対極にある存在ともいえるが、反面最も近しい関係にあるともいえ、その役柄の組み合わせの意外性が詩的でもあった。
 リアにとってコーデリアは「リアの心」であるから、コーデリアはリアの内なる核と言える。
 一方、グロスターは目に見えている時には真実が見えておらず、目が見えなくなって真実が見えるようになるという点で、道化に通じるものがある。
 そのように考えると、遠くに見えていたものが実は近い関係にあるというアイロニーとしての面白さがあり、その関係を見事に演じ切っているのがこの劇の見どころともいえる。
 嵐の場面は、朗読会の途中に降ってきた俄雨、雷雨で、その場を以て休憩=中断ということになり、雨が上がったところで再開となる。
 無事に朗読を終えたところで一行はロンドンへ戻るべく迎えのバスへと向かい、最初と同じように客席通路を通って舞台から退場していく。
 その道すがら、教授が『リア王』にはハッピーエンドの改作版があることを説明し、来年はそれをやりましょうというオチが入る。

(訳/松岡和子、演出・構成/鴨下信一、99年5月23日(日)14時、サンシャイン劇場にて観劇。
チケット:(S席)8000円、座席:1階8列28番)

 一方のシェイクスピア・シアターの『リア王』は、創立25周年を迎えての記念公演で、それにふさわしい重量感のある上演であった。
これまでにも多くの演出家による『リア王』を観てきたが、この舞台は非常に丁寧な仕上げという感じがした。
 途中10分間の休憩を挟んで3時間半の上演で、しっかりと台詞を忠実に聞かせてくれる。
リアは80歳を過ぎる設定で演じる者にとっては相当の体力を必要とするが、吉田鋼太郎のリアは実にエネルギーの塊であり、マグマの噴火ともいうべきパワーを感じさせてリアリティにあふれていた。
 吉沢希梨はゴネリルの憎々しさ、毒々しさを見事に演じ、さすがだと感心した。
 嵐の場面では、楽器や道具を使って表すのではなく、風雨の音を大勢の人間が舞台上で声と演技で表出するという演出は面白いと思った。

(翻訳/小田島雄志、演出/出口典雄、99年5月24日(月)18時半、東京グローブ座にて観劇、
チケット:4000円、座席:1階C列14番)

 

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