とにかくストーリーがふるっている。故郷ストラットフォードから出てきて、劇作家としてのし上がってきたウィル、 しかし当代一の人気作家はなんといってもクリストファー・マーローであった。
折りしもウィルはスランプ状態で、次の喜劇『ロミオと海賊エセル』の筆が進まない。おまけに、ヘンズローの劇団海軍大臣一座は疫病で劇場閉鎖のため、人気俳優のネッド・アレンほか主要メンバーは旅回りに出ている。
ウィルはそんなスランプ状態の中、週1回の精神分析治療を受けている。
この分析治療医の看板は"APOTHECARY'となっているが、カウチに寝そべって受ける治療はフロイトの精神分析のSEXに結び付けて解釈され、その対症療法は呪術的で、蛇の彫り物のブレスレットに自分の名前を書いた紙を蛇の口に詰め込み、愛する人に渡すというもので、現代的なものとミックスさせた対照が一つのおかしみとなっている。
ウィルの恋人は娼婦のロザリンドで、ここにこの映画の仕掛けがされているのが見える。
話の縦糸は、シェイクスピアことウィルと、成り上がり貴族の娘ヴァイオラとの恋で、ヴァイオラとの出会いがウィルに『ロミオと海賊エセル』の劇の筆を進ませることになる。
ヴァイオラは芝居好きで、なかでもウィルの台詞の詩に恋をしている。
その芝居好きが高じて、俳優不足のローズ座のオーディションに男装してトマス・ケントとして現れ、他のものがみなマーローの台詞でオーディションを受けているのに、彼(彼女)だけがウィルの詩を諳んじる。
ウィルは彼(彼女)を屋敷まで追いかけ見失うが、その夜、ヴァイオラの邸宅での舞踏会で彼女に出会い、その出会いがロミオとジュリエットそのものとなって、その後の展開が『ロミオとジュリエット』を緯糸にして進むことになる。
ロミオとジュリエットと同じように二人の間には越えられない川がある。ヴァイオラには親が決めた婚約者エセックス卿がおり、その障壁が『ロミオと海賊エセル』の喜劇を悲劇のストーリーに変えてしまうことになる。
旅回りをしていた海軍大臣一座の主要メンバーが戻ってくる。そのとき、看板俳優であるネッドに対するウィルのおもねりが一つの見どころにもなっている。
看板俳優は主役を演じるのが当然であり、ネッドを主役にした『マキューシオ』を用意する。当時の劇作家の力が弱かったのは演目にしろ、内容にしろ、一座の俳優次第ということも大きな要因であったことを示唆し、ウィルの新作『ロミオと海賊エセル』も、もともとヘンズローの要望に沿った海賊喜劇であったし、話の筋も外野席の声がかなり入ってくるはずであった。
ウィルが後世ウィリアム・シェイクスピアとしてその名を留めるようになったのは、恋におちたウィルが『ロミオとジュリエット』を書き上げてからのこととなる、ということを仮定しているかのようである。それは、ウィルが、自分のために、そして恋するヴァイオラのために、自分が思うままに劇を書き上げたことで。
細かい仕掛けの楽しさと、シェイクスピア当時の劇場の再現の時代考証などで、オープニングのローズ座のおがくずをまき散らした平土間や、舞台構造、観客の姿なども当時の状況の想像を掻き立て、興味つきない映画であった。
エリザベス女王を演じたジュディ・ディンチもよかったが、ウィルを演じたジョセフ・ファインもよかった。
(5月5日記)
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