高木登劇評-あーでんの森散歩道
 
   『風の一座・沖縄のロミオとジュリエット』   No. 1999-005
空白

― 劇団銅鑼創立25周年記念公演 ―

 <自分探しの旅が、今、始まる>とサブ・タイトル風にこの劇を銘打っているが、この劇を観終えての余韻に、確かにそんな気持ちが伝わってくる。
 物語は、沖縄の海軍軍事基地建設予定地の名護市辺野古の近くの架空の民宿を舞台に、そこで民宿の主人の孫娘さやかが劇団<風の一座>を結成して芝居に取り組むことから始まる。
 しかし村の仲間だけでは人数が足らず、全国からアルバイト付きの条件で俄か団員を集める。
 そこに、阪神大震災で家族を失った若者(父親が沖縄の出身であったことがこの劇の終盤でわかる)や、方言丸出しの石川賢治(石川啄木と宮沢賢治の両方から取った名前)という青年、また東京の中学校の社会科の先生をしていて今は退職し自分のやりたいことをやろうとしている初老の婦人など、個性豊かな面々が集まってくる。
 演出家は、さやかの祖父である民宿の主人寛助。彼は、寛仁(ひろひと)という名が本名であったが、第二次大戦時、天皇裕仁と同じ名前ということで無理やり上官から変名させられたのだった。
 演題は『ロミオとジュリエット』だが、台本はない。
舞台を沖縄に設定して、キャピュレット、モンタギューの両家の対立を、海軍基地問題である海上沖フェリーポート建設問題の賛否で対立する構造にし、一方が沖縄の自然を守ろうとするジュリエット役さゆり=さやかの一族の地元農業派と、沖縄の存在は基地と日本政府による経済振興で成り立っていると主張するロミオ役とみお=石川賢治が属する建設業家派とに分かれている。
 この手のテーマで気になってくるのが、劇が政治的プロパガンダに陥りはしないかということであるが、再三、その際どい線をいきながらプロパガンダに陥っていなかったのは救いであった。
 しかし、その熱いメッセージは心に強く伝わってきた。
 沖縄の置かれている状況、基地の存在に脅かされる日常生活、しかしながらもその日常生活を支えてくれているのも基地の存在である。
 そして、沖縄の経済を成り立たせているのは、公共事業という名のもとの日本政府による経済振興策。
 矛盾の上に立脚した沖縄を、この劇は明らかにする。
 そういう沖縄の矛盾、沖縄県民の精神的矛盾を突くのが阪神大震災の被害者である若者、山木である。
 彼は、沖縄には基地の提供という名のもとに政府の援助の手が差し伸べられているが、震災の被害者に対しては何ら公的扶助がなされなかったと義憤する。
 さらに続けて彼は、沖縄県人は昔から強い者にしか頭を下げなかった、その表れが、昇る陽には手を合わせるが、沈む太陽には手を合わせないことを指摘する。
 その山木も沖縄県民である父の血を引いており、沖縄人の性格を内面に秘めているがゆえに、その矛盾に憤っているといえる。
 <風の一座>の『ロミオとジュリエット』の劇の進行は、劇中の基地問題と現実がないまぜになって、現実なのか劇の物語のあらすじなのか、演じている彼らの中でも混同するが、中でも演出家兼とみお(=ロミオ)の父親役を演じる寛助が脱線してしまう。
 政治的、時事的プロパガンダの臭いが強いが、劇中劇のロミオ(=とみお=石川賢治)とジュリエット(=さゆり=さやか)の恋の芽生えをはじめとして、この<風の一座>で出会った若者たちが愛で結ばれる姿、そして、遠く青い海の彼方にジュゴンを見つけて、初めて声を出した登校拒否の少年リュータに涙する祖母の姿、そんな素朴な風景に目頭が熱くなった。
 シェイクスピアをネタにしたチャレンジも面白く、「芸術は、好きか嫌いか」という劇中の寛助の言葉の通りでもある。

(作/謝名元慶福、演出/松川暢生、99年2月12日(金)14時、三百人劇場にて観劇。
チケット:45000円、座席:6列11番)

 

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