高木登劇評-あーでんの森散歩道
 
    ルドルフ・ジョーウオの『夏の夜の夢』              No. 1999-003
白背景10

 東京グローブ座と時を同じくして渋谷のシアターコクーンが開館10周年を迎え、その出し物に同じくシェイクスピアの『夏の夜の夢』を上演する。
 これは偶然の一致なのか、それとも意図的なものなのかは知る由もないが楽しみな競演である。
シアターコクーンは10周年を迎えて今年蜷川幸雄を芸術監督に迎え、21世紀に向けて新たなスタートを切った。
 コクーンでは、90年から5年間にわたって毎回異なる演出家・キャストで『夏の夜の夢』を上演しているということである。
 ポーランドの演出家ルドルフ・ジョーウオの『夏の夜の夢』は、ピーター・ブルックへのささやかな挑戦の実験的演出とでもいえようか。
 『夏の夜の夢』は、ピーター・ブルックによって劇的変貌を遂げ、ピーター・ブルックが新しい規範・原点となってそれ以降のすべての新しい試みや実験が、ブルックとの比較の上になされるようになったといっても過言ではないだろう。
 ジョーウオの『夏の夜の夢』は、彼の言葉を借りれば<天球の音楽の夢=ハルモニア>で、その言葉を象徴するかのように、開演前の舞台には天球図画大きく張り出されていて、開演とともにパックがその天球図を静かに眺めた後、舞台の袖に引き下がる。
 そして、いきなりアマゾンの女戦士狩りが始まってヒポリタが捕らわれ、シーシアスから結婚を強いられるが、ヒポリタはあくまで反抗的で、挑戦的である。
 この劇は反抗と挑戦で始まり、和解で終わる。
 混沌・カオスに始まり、調和・ハーモニーで終わるともいえる。
父親のイージアスに背くハーミア、そのハーミアをめぐって対立するライサンダーとデミートリアス、デミートリアスを慕いながらも受け入れられないヘレナ、こうした対立する<昼の世界>から、不満分子、追放者たちを迎え入れる<夜の世界=森>をくぐり抜けることで混沌から調和へと帰る。
 <夜の世界=森>は、人間の本性、野蛮、本能の場所でもあるが、そこを通過することが浄化への回帰でもある。
 ハーミアとライサンダーが結婚を反対されて駆け落ちの相談をしているところに現れるヘレナ(寺島しのぶ)は、どう見てもハーミア(小島聖)より背が低い。
 ここでいらぬ心配をしてしまう。森の中での二人の喧嘩のやりとりはどうなるのであろうか。
背の低いヘレナが自分より背の高いハーミアに原作通り、ハーミアに「背が低い」というのであろうか?!
 この場面ではハーミアとヘレナの台詞を入れ替えてその心配を消し、違和感がないようにしていた。
 <夜の世界=森>の舞台設定は、白と黒の布地を巧みに使ってのコントラストで、シンプルな中にも変化に富んでいて、イメージとしては、垂直の世界というより水平な世界であった。
 <昼の世界>と同様に<夜の世界>も、オーベロンとティターニアの対立、争いの場から始まる。
 争いのもとはティターニアのインドの少年で、その少年を舞台に具体的に登場させる。
 森の妖精たちはダンサーが演じ、妖精というより、その所作からは妖艶なる存在として感じた。
 ブルックの影響を感じたのは、妖精たちやオーベロン、ティターニアが空中ブランコを使っているところである。
 パックを演じるポーランドの俳優ヤン・ペシェクは、パック像について「パックは“時”の象徴」であり、「冗談好きで悪戯好きという伝統的なパックにはあまり興味がありません。パックは芸術家であり、指揮者であり、演出家でもあって、人間の運命を変えてしまう挑発者でもある」と語っているが、その演技自体からは<時の象徴>としてのパックをイメージすることは難しかった。
 ポーランド語で語ることもあってか、エピローグと途中のわずかな台詞を除いて台詞の省略がかなりあったように思われた。
 それに、動きもどちらかといえば静止的で、そのせいか、求道者のような、抑制された存在として映った。
 全体の印象としては演技が生み出す雰囲気の統一感に欠ける気がし、演出家の意図した<ハルモニア>と逆行しているようで皮肉な結果となっていた。
 その印象の原因はミスキャストにあると言わざるを得ない。
 特に、シーシアス/オーベロン役の若松武史と范文雀のヒポリタ/ティターニアの台詞の発声には不満を感じた。
 期待した赤星昇一郎のボトムも、アテネの職人一同も、面白みにいまいち欠けていてつまらなかった。
 その中で光っていたのはヘレナを演じた寺島しのぶで、演技も台詞もしっかりしていて好感を覚えた。
 観劇中、自分などはたいして面白おかしくもないところで若い女の子が笑っているのを見ると世代のずれを感じざるを得ず、自分の印象といっても所詮ずれていると思わされた。
 舞台美術と合わせて、演出の主題である<天球の音楽の夢=ハルモニア>の音楽的効果も捨てがたい。
 なかでも印象的だったのは、ムソルグスキーの『展覧会の絵』の曲が流れた時で、要所要所で、クラシック音楽が挿入されていた。全体を通しては高良久美子のパーカッションが演出の効果を高めていたと思う。
 台詞劇としては大いに不満が残るものの、視覚効果、音楽効果については意欲的な実験の試みとして評価できるのではないかと思う。
 個人的な感想としては、東京グローブ座のストルマーレ演出の『夏の夜の夢』の方が楽しく面白かったし、俳優も台詞もグローブ座カンパニーの方がよかったと思う。

(訳/松岡和子、演出/ルドルフ・ジョーウオ、1999年1月15日(金)14時開演、
渋谷・シアターコクーンにて観劇。チケット:(S席)7000円、座席:1階M列18番)

 

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