夜想会という劇団名も、ハムレットの宮内敦、オフィーリアの久我陽子もこれまでまったく知らなかったが、オフィーリアの発狂の場面とハムレットの死の感動的な場面で二度までも涙に誘われた、そのことだけでも十分満足できるものであった。
非常に丁寧で原作に忠実な演出で、休憩に入るまでの前半部の2時間は場面の省略もなくじっくりと進んでいき、ケネス・ブラナーの映画『ハムレット』の影響を感じさせるものがあった。
休憩前の舞台は、英国行きを前にしたハムレットが、途中、雪のデンマークの平原でフォーティンブラスのポーランド侵攻軍に出くわし、ハムレットが兵士にその軍隊のことについて尋ねたところで終わるところなどはブラナー版そのものだと思った。
また、最後の場面でフォーティンブラスの軍隊の隊長4名がハムレットの亡骸を担いで運び去るところの情景もブラナーの映画と同じであるが、これはむしろブラナーの映画を意識した演出だと感じた。
舞台づくりはシンプルな中にも重厚さがあり、舞台両脇に弧を描くようにして階段を据え、舞台中央奥は一間四方ほどの空間となっていて、これが奥舞台の通路にもなり、墓掘りの場ともなる。
階段を昇りつめたところは、冒頭のシーンである夜警の城壁の場となる。
精悍な顔をした宮内敦のハムレットは、思索的で憂鬱的な、逡巡するハムレットというより、行動的なハムレットのイメージであった。
ハムレットの「このままでいいのか(しばらくポーズ)、いけないのか、それが問題だ」の台詞を聞いたとき、W.H.オーデンの詩’Leap before you look’(見る前に跳べ)を思い出した。
「このままでいいのか、いけないのか、それが問題だ」は今回の野伏翔演出のキーワードとなっており、パンフレットの挨拶文に寄せてこのように書いている。
<…それぞれの人生における選択の瞬間に、「このままでいいのか、いけないのか」と自分自身に問いかけています。…世の中がここまで堕落してくると、「こうしたい」と思うばかりでなく、「こうすべきだ」と自分の心に言い聞かせて行動することが、今最も必要なことのように思えます。ただし信念をもって行動するためには、思考の裏付けが必要です。そして物を思考するためには言葉を知らなくてはなりません>
ハムレットがポローニアスに答える台詞、「言葉、言葉、言葉」はこうしてみると行動を起こす前の思考の手段としての響きをもってくる。
だが、’Leap before you look.’ではなく、’Look before you leap.’であるところにハムレットの悲劇がある。
「このままでいいのか」という自分への問いかけは行動するために自分に言い聞かせるべきもので、「このままでいいわけないよな」と言いながらダラダラと日を送ってしまう。
劇中劇を演じる役者がヘキュバの件(くだり)を思い入れたっぷりに聞かせてくれたが、その役者が元無声映画の活弁士、麻生八咫だと知って納得。
ゴンザーゴ殺しの劇中劇は、王と王妃が黙劇でコミカルに演じ、二人の台詞は序詞役が活弁風に語る。
全体の印象としてはオーソドックスな中にも斬新さ、シンプルな中にもスぺクタル的な雰囲気、若々しさと円熟、スピーディーな中にもメリハリのある舞台であった。
前半部に対して後半は台詞も場面もかなり省略があったが、大筋での省略がないのでカットの部分にあまり気づかなかっただけでなく、気にもならなかった。上演時間は、休憩時間を除いて約3時間。
訳/小田島雄志、演出/野伏翔、1998年8月9日(日)13時半開演、
紀伊國屋サザンシアターにて観劇。 チケット:4500円
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